-晩夏-



蝉の鳴く声が都会と違って静かに消えていく、そんな場所での思い出


「あっちー。なんで夏も終わるってのに、こんなクーラーもないとこに来なきゃなんないんだよ」


荷物を放りだし、熱気を払うように体を動かしながら新はつぶやいた


「しょうがないだろ。春美の休みが取れなかったんだから」


苑は新の隣に荷物を下ろしながら、遥か後方の父親を見下ろす。
彼らがこれから行く旅館は、老舗中の老舗。都会の喧騒から離れ、日常を忘れたい著名人達が
多く利用するといわれる有名旅館だ。まぁ彼らに言わせればどんなに老舗でも山奥の田舎にしかすぎない。


「それにしても」


未だ辿り着かない春美を待ちながら苑は口を開いた。


「よくあいつらが旅行にオッケーだしたよね」

「ああ。すぐ連絡とれて行動とれるトコにいろーとか言われると思った」


新も無表情な連絡係を思い出す。今回の事を切り出した時も、
何を考えているのか解らない一瞬の間を置いてからだが、すんなりと許可を出した。


「何なんだろうなアレは」

「アレってなんだい?」


いつの間にかに追い付いていた春美がヒョイと口を挟む。

「別に。つーか春美遅いよ」

「まだ旅館先なんだから早くしろよな」

二人は目配せすると荷物を拾いあげ駆け出した。
そんな二人の後ろを春美の情けない声だけが追い掛けたのだった。









「はぁ〜。さいっこ〜」

「あちー。俺もうダメ。先に出る」

「情けないなぁ新は」


硫黄の匂いと真っ白な湯気の立ち上る露天風呂。まだ湯に浸かりながら苑は情けないとからかう。
だが森林に囲まれた広い空間を二人で占領して、すでに一時間は経っていた。

「苑がじじ臭いんだよ」


言い返しながらさっさと新は脱衣所に消えてく。半分のぼせていたのだろう、足取りは軽くはなかった。

「俺はもう少し」

苑は新を見送ると、誰もいない空間を見回し呟いた。

「…泳いでも…いい…かな」










「迷った…」



ほてった体を冷ますため、散歩がてらに横道に入ったのがまずかった。新は空を見上げ唸った。
木々は高く生い茂り太陽の位置さえ分からない。
宿の方向が分からないのでは分かったところで意味を成さないが。


(さら地にする訳にもいかねーし…いくらなんでもヤバイよな…)


いろんな意味で危険な事は避けたい。みっともないが苑に助けを求めるか…

すごく情けねー、笑われるんだろうな。と、半ば後ろ向きに新は苑の気配を探ろうとして、
すぐ側にある違う存在に気がついた。


(誰だ?)


まさか自分以外に人がいるとは思わなかった。相手がこちらに気付いている様子はない。
新は念のため気配を隠しながら様子をうかがってみた。


(…っ!!泣いてる?!)


嗚咽を押さえ木に体を隠すようにして、その女性は泣いていた。年の頃は三十前だろうか、
はかなげな美しい人だ。明るい色のスーツを着ているがその表情は似つかわしくはなかった。
新は一瞬躊躇ったが、意を決しわざと大きな音をたてながら近づいていった。





「こんにちはー。何してるんスか?こんなとこで」


女性はビクリと体を硬直させるとゆっくりと振り向いた。やっぱあからさま過ぎたか、と新は思ったが。


「貴方の方こそこんな所に何の用?」


と、女性は距離を取りながら返してきた。さすがといったところか、
戸惑いの表情ではあったが先程まで泣いていたとは、見ていなければ信じられない程
しっかりとした態度だった。


「いや、俺は、その…」


新は口ごもった。それを見て相手は更に訝しんで新を見始めた。仕方なく正直に答える。


「温泉から戻ろうとしたら、道に迷っちゃって…」


ハハハ…ととりあえず笑ってみる。すると彼女は少し考えるように首を傾げ、


「ここ旅館の裏よ」


と、後ろを指差した。すぐ近くまで来てたのかと安堵すると新は同時に少し悲しくなった。

(今までの苦労は…)

そんな新の様子をみて、やっと安心したように彼女は笑いかけた。


「温泉までの道は入り組んでいるし迷っても仕方ないわ」

「詳しいんだ。」

「ええ。よく来てるから」

「じゃあこんなところで何して…」


言いかけて新はハッとする。こんな人気のないところに来るのは一人で泣く為だ。
よく知っているところでわざわざ隠れるようにしていたんだ、それ以外に考えられない。


「そう…見られていたのね」


急に固まった新を見て彼女はそう呟いた。


「あ、いや…ゴメン」

「いいの。まさか人がくるとは思わなかったから、油断してた私が悪いの」


女性は新の手をとると、

「見られたついでに少し話聞いて?」

と、手を引いて歩き出した。彼女は葉子さんといい、政財界の大物の秘書をしているといった。
今回は俗に言う不倫旅行に来ているのだと、有りがちよねと笑いながら話してくれた。
旅館に着くまでいろいろな話をし、別れる時には、彼女は新に会えてよかったと言った。
また会えるといいと笑っていった。










「どうしたんだ?変な顔して?」

新が部屋に帰ってみると誰も居ずぼーっとしていると、複雑な表情の苑が無言で入口の所に佇んでいた。

「いや…今下のゲーセンになんか嫌なモノが…」

と呟くと、あえて考えないように苑は話題をそらした。



「それより何してたんだ?ずいぶん遅かったけど」

「え、別に。散歩してただけ」

「そのわりにはやたら嬉しそうじゃない?」

ニヤニヤと怪しい新を気味悪そうに眺めながら、まぁ楽しいならいいかと苑は景色を眺めることにしたのだった。








「そういえばさっきすごい人をみかけたんだよ」

黙々と食事をする二人と会話を持とうと春美が唐突に切り出した。

「へぇー。あ、これウマイ」

反応の薄い二人にもくじけず春美は続ける。

「…なんとあの葛木慶三郎だったんだよ」

「誰、それ?」

「芸能人かなんか?」

二人の反応に今度はがっくりしながら


「二人ともニュースは見ないのかい?!政財界を裏で操っているとか政治家と結託しての

悪事の噂が耐えない有名な人だよ。最近も大企業を一つ倒産させて騒ぎになったのに…」


知らないのかい?と二人の顔を覗き込む。興味を持たれなかったのが分かると春美は独り言のように続けた。


「まさか同じ旅館にいるなんてねぇ世間は狭いなぁ彼も昔は…」

そんな話を聞きながら新は、その男が葉子さんの相手なのかと複雑な思いでいた。












「おはよう。新君」


朝早く中庭を散歩していると後ろから声をかけられた。


「葉子さん。オハヨー」

「早いのね。いつもこんなに早起きなの?」

「いや苑が…あ、兄弟が温泉に行こうって」


行く気もないのに起こされ新は生あくびを繰り返していた。


「なんだ君が偉いんじゃないんだ」

だろうと思ったけど、と葉子は笑う。

「どーせ。俺は遅刻常習犯ですよ。葉子さんはいつもこんなに早いんスか?」


まだ七時も回らないというのに葉子はピシッとしたスーツを着込みきちんと化粧までしていた。

「仕事が仕事だから。先に起きて一日の仕事を確認して、その日の行動を整理して後に寝る。

身についちゃって勝手に目が覚めちゃうの」


困ったように言いながらも彼女の目には自信が満ちていた。自分の仕事に誇りを持っているからだろう。
さんな彼女はとても輝いていた。

「好きなんだ。仕事」

「ええ。新君は?」

聞かれてドキリとする。葉子が新達の『仕事』を知るはずはないが、誰かに誇らしげに語れる事ではない。
まして、好きでなんて関わってなどいなかった。そんな新の様子には気付かず葉子は

「ないの?好きな事?」

ダメね若いのにと笑う。
そんな葉子に目をやると…


「…。…っ!!」


葉子の後ろに一瞬有り得ないモノを見たような気がして目を擦る。


「どうしたの?」

「な…なんでもないデス。」

そういえば、と

「葉子さんが秘書してるのって葛木慶三郎?」

聞いてから新はしまったと思った。葉子の表情が瞬間にして曇る





「知ってたの?」

「昨日名前がでて、そうかなぁ…と」

「そっか。けっこう有名なのね」

「でも俺昨日まで名前も知らなかったし」


必死な新にそれでも葉子は笑いかけてくれた。何度も酷い扱いを受けたのだろう、
彼女の顔には諦めにも似た表情が浮かんでいる。


「気にしないで。私も気にしてないから」

「うん。わかった。違う話をしよう!」

敢えて明るく振る舞う新に、葉子は申し訳なさそうに言った。

「ゴメンネ。これから来週の会議の目録を作らないといけないの」

「そうなのか…」

「また後で会えるわよ。ね?」

宥めるように言うと彼女はそっと新の頬に触れ去っていった。
後には新と彼女の残り香だけがその存在を現していた。














「いつまで覗いてる気だよ」


ゆっくりしようとしていたのに、先刻から気配を隠そうともしない存在に、苑は苛々していた。

「そういう趣味だったんだ」

茂みから現れた存在に悪態をつく。できれば一生関わりたくない人物その一が安穏と近づいてくる。


「一緒に浸かった方がよかった?」

「お断りだ!」

苑は叫ぶ。見間違いだと思いたかったのに…





「あんた達、本当にいたんだ…何してんのさ。こんなとこで」

「ニンム。」

苑の問いにシギは端的に答えた。


「ま、簡単なんだけどね。邪魔するなって言っとこうと思ってね」

「近づきたくもないから安心してよ」


苑の言葉に笑いながらシギは意味ありげに

「番いの奴にもちゃんと言っといて」

と言って再び茂みの中へ消えていった。

「なんなんだよ…新?」

嫌な予感がして苑は湯舟から飛び出した。何があるのだろう。
知らないところで何かが起こっているような気がして、苑は不安を拭えなかった。












陽光射し、木々の間を照らすそんな午後。新は苑の後を追い掛けていた。
苑は腹立たし気にすたすたと森の奥へと進んでいく。それもそうだろう。
心配になり帰ってみれば、新は大の字になり気持ち良さそうに熟睡していたのだ。


(なんなんだよ。あいつら実はからかいに来ただけじゃないのか)


八つ当たり気味に考える。道すがら、新に気をつけておいてやれと、今度はツバメに忠告された。


「おーい。何怒ってるんだよ。」

「なんでもないっ」

「なんでもないっつったって…」

新はうっすら赤くなった顔をさすった。夢心地の時にいきなり踏まれ起こされたのだ、
怒りたいのはこっちの方だとぶつぶつ言いながら付いて行く。と、



「近付かないで!」



遠くで聞き覚えのある声がした。二人は咄嗟に声のした方に駆け出す。そこには葉子とツバメ、
シギの二人がいた。


「新くん!」


葉子がこちらに気付き助けを求める。新が近付こうとすると、シギが二人の間に割り込んだ。


「邪魔すんなって言ったろ?」


いつものどこかからかうような口調ではなくシギが言った。





「彼女から離れろよ!何の関係もないだろ」

「彼女は葛木慶三郎の秘書だ」

新は男の名を聞いて怒りを露にした。

「なら用があるのはそいつだろ。葉子さんは…」

「葛木は俺達にとって有害だ。」

「今までも悪事だらけだけど、手を出しちゃならないトコまで関わってきたんでね」

対処しないとならない。


「だから!」


新の声を無視しツバメは続けた。

「それをすべてこの女が裏で操っていた。と言ったら?」

「無関係っていうか悪の親玉だな」

葉子から目を離さないまま二人は告げた。新にとって考えもつかない最悪なことを。




「嘘だ!」


「嘘よ!」



同時に叫ぶ。知り合って間もないが、悲しみ、泣いていた彼女を知っている。そんな人が悪いことを
する訳がない。まして人を使ってなど、新には信じられなかった。


「嘘じゃ…ない」


そんな新に告げたのは、苑だった。

「苑?」

「読んだ。あの人嘘をついてる…」

新はそんな苑の言葉に悲痛な表情を浮かべると

「葉子さん…」


否定の言葉を求めるように彼女を見た。葉子はそんな新を見ると

「信じて。私何もしていないわ。第一どうやったって私には無理だわ」

そうでしょ?と救いを求めるように言う。そうだ、いくらなんでも悪いことを他人の意思でするなんて
出来やしない、そこには自分の良心があるはずだ。そんな期待もたった一言で掻き消されてしまった。


「彼女も能力者だ」

「いたいけな子供に使うんじゃねぇよ」

明らかに敵とみなし距離をとらせる。

「近づくなよ。次に触られたら操られる」

「どういう事だよ」

「彼女の能力は弱い。力を直接送り込まなければ操れない。」


一度よりは二度、三度確実にするために相手に触れる。それが彼女の手だといった。

「俺の事操るつもりだったのか…?」

否定して欲しくて問い掛ける。そんな新を一瞥すると、あの諦めた様な表情で言葉を吐き出した。






「もう少しだったのに」




「!!」





「やっぱり子供はダメね。見込違いだったわ。私よりか強いから役に立つと思ったのに」

「能力があるから?」

「そう、更地にするくらいの」


葉子は笑う。あの時新の考えを聞いていたのだ。そして新が気に入る彼女を演じた…自分を守らせる為に


「話しは終わりだ。あんたには消えてもらう」

「…!なんで。殺すことないだろ!」


新と苑が叫ぶ。


「騙されてたんだよ?」


だからって、やり直すことだってできるはずだ。



「甘いわね」


葉子はそう言うとポケットから何かを取り出した。


「裏稼業にいると、こういうものも簡単に手に入るのよ」



弾丸が飛び出す、その一瞬。葉子は揺らぎ体が宙に舞った。何が起きたかわからなかった。
考えるよりさきに体が動いていた。新は駆け寄り葉子を捕まえようと手を伸ばす。





「騙すなら最期まで騙し通せばよかったんだ…」




どんな能力かは解らないが、これがツバメの能力だと気付いた時には、
彼女は深い谷底へと落ちていったあとだった。



間に合わなかった…



悲しみが心を覆う。


「どうして!殺さなくても止められただろ」


「何時までも甘いな」


「そんなんじゃいつか死ぬよ」


新の声に耳を貸さず二人は、もうここにいる意味はないとばかりに立ち去っていった。
訓練を積んでいるためか、正確には読めなかったから…変わって欲しいのか、
このままでいて欲しいのか苑にはわからなかった。
ただ分かるのは、二人にとって今日が忘れられない日になるという事だけだった。







蛇足





「具合はいかがですか?」



日の注す清潔な病室に、相応しくない黒い格好をした男が穏やかに声をかけた。


「お蔭様で。悪い夢から覚めた様です。」


男はやつれながらもはっきりとした口調で言った。


「いけないと分かっているのに、止められなかった。どんな事をしても償っていきたいと思っています」


「私どもに力を貸して頂けますか」

「もちろんです。私に出来る事なら」

ところで、と彼は続ける。

「彼女は何だったのですか」

彼は苦しそうに聞く、まだ精神に傷が残っているのだろう、言葉に出すと辛かった。


「彼女は普通の人間ですよ。ただ力を持ち、それに溺れた」

男は溜息をつくと

「秘書として働くうちに見えてしまったのでしょう。闇を」

「また同じ事が起きるのでは?」

彼女がどうなったか語らず男は続けた。

「ご心配は不要です。我社のトップエージェントが対応致しましたので」

「だが」

「彼らは特殊な訓練を積んでいますから。彼女に操られる心配はありません」

男は相手が安心したのを見届けると早々に病室を後にした。余計な事を語る必要はない。
男は胸ポケットから煙草を取り出すと火をつけた。まだ厄介な事が残っている。
男はフーッと煙を吐き出した。


「あの…スイマセン」


看護士らしい少女が困ったように話し掛けてきた。


「分かっている。彼らにもちゃんと…」

「いえ、そうではなく」


少女は男が恐いのか目を反らしながら告げた。





「病院内は禁煙です」



終



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唯月様から頂きました。
(嬉しかったので挿し絵書かせて頂きました)

素敵小説ありがとうございます!受け取った時は
狂喜乱舞してましたv
話が凄くまとまっていて面白くて、
葉子さんが能力者で犯人って時は、吃驚しました。
予想できませんでしたよ。
何気にラストのカラスさんも好きで。
シギとツバメも出ていて嬉しかったですv

素敵小説本当にありがとうございました!

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